2012年 04月 26日
【鎌倉人】今こそ攘夷(じょうい)の精神を。【世界への姿勢】 |
歴史の授業くらいでしか聞いたことがないかも知れない、この「攘夷(じょうい)」という言葉。
恐らく、多くの方は「異国船打払令(いこくせんうちはらいれい。文政8・1825年~天保13・1842年)」に代表されるような「排外主義」をイメージされるかも知れませんが、それは当時がのっぴきならない弱肉強食の世界であった事に起因する事象(徳川幕府の政策)の一つであり、攘夷の本質ではありません。
夷(えびす)を攘(うちはら)う。
この「夷」とは、本来「野蛮人」を意味する言葉であり、何も外国人とは限りません。
※中には、この「夷」を勝手に「自分たちを指している」と決めつけては「差別だ」何だと騒ぐ(悪質な例ではたかりのネタにする)方もいますが、そういう手合いは国籍や人種ではなく、その振る舞いによって「夷」と分類すべきでしょう。
野蛮人とは、文字通り「野蛮なことをする人」を指す言葉ですから、日本人でも夷はいます。
そして、野蛮とは何でしょうか。
その定義は、色々あるでしょう。
例えば。
外国へやって来て、その国の文化や価値観を重んじない、とか。
あるいは。
目先の利益に媚びへつらって、自国の文化を切り売りする、とか。
つけ上がる方もつけ上がる方ですが、甘やかす方も甘やかす方です。
内憂と外患が癒着と妥協を繰り返す中で、日本が日本でなくなって行く。
日本の文化を土壌として、独自の文化が培われた鎌倉もまた然りです。
鎌倉は、日本の古都です。
私たちは「攘夷」の何たるかを知らねばなりません。
それは決して闇雲な排外主義に走ることではなく、お客様をもてなしながらも、峻厳たる「一線」を引いておくことに他なりません。
それを一言で表わすなら「媚びるな」。これに尽きます。
世界中から多くの方が見える鎌倉こそ、この「攘夷」の精神を身につけておかねばならないのです。
だからこそ私は、「尊皇攘夷」を祈願するのです。
※尊皇(天皇陛下はじめ皇室を敬愛する)については「日本文化の根源であるため」の一言で足りる(詳しく調べればキリがないものの、最低限の主旨は伝わる)ため、今回は紹介を割愛します。
by sasalindou
| 2012-04-26 02:32