2012年 09月 04日
【台上町】郷土の俳人・小野田泉里。【稲荷神社】 |
(角田晶生・笹竜党 代表)
平成24年9月3日(月)、以前参拝した台上町(鎌倉市)の鎮守・稲荷神社にて興味深い歌碑を見つけました。
小野田泉里 句碑。 posted by (C)角田晶生
「露ふん亭(で) 行くや鎮守の 朝詣(あさもうで)」
大意:朝一番に夜露の残る、草生す道を踏みしめて行く先は、鎮守様です。
近くにあった説明書きによると、作者の小野田泉里とは、以下のような人物だったようです。
【小野田泉里・おのだ せんり。明治6・1873年生~昭和34・1959年没】
本名は源十郎(泉里は俳号、別号・漱石庵)。鎌倉郡台村の農家に生まれ、家業の傍ら、山ノ井高月(やまのい こうげつ)に俳句を学び、鎌倉郡をはじめ、横浜~横須賀の俳人たちとも活発に交流。生涯に二千句近くの作品を残しました。
「笹光る 白旗山や 冬の月」-泉里(気に入った一句を、紹介してみました)
また、息子の亮太郎も雪里(せつり)の俳号で活躍したそうです。
この時代は台村に多くの俳人が出て、その先駆け的存在が師:山ノ井高月(本名・高次郎。安政3・1856年生~没年不明)だったらしく、十数名の弟子を輩出しているそうです。
他にも、岩崎里京(いわさき りきょう。本名・房吉)、根本鳥暁(ねもと ちょうぎょう。本名・長平)、葉山一葉(はやま いちよう。本名・作治郎)、山本秋好(やまもと しゅうこう。本名・千秋、別号・茶木)などがこの台村(現:鎌倉市台上町)で活躍していたとの事です。
よほど、この一帯では俳句が盛んであったのだろうと偲ばれます。
町の眺め(台 稲荷神社)。 posted by (C)角田晶生
さて、話は冒頭の句に戻りますが、
「露ふん亭(で) 行くや鎮守の 朝詣(あさもうで)」
この句を読んで、ふと思い立つ節がありました。
これは、日露戦争の勝利、または三国干渉以来、広く日本人がスローガンと掲げた「臥薪嘗胆(がしんしょうたん)」の思いを表わしたものではないか、と。
臥薪嘗胆 列強(東アジア諸国)による日本への干渉: 日本史探求
http://j-history.cocolog-nifty.com/misakijapanhistory/2005/04/post_3038.html
露とは、露西亜(ロシア)、ふん亭(亭は当て字、又は変体仮名)は「踏んで」つまり蹴散らす意を表わし、鎮守は海軍の「鎮守府」にかけ、朝は旭日(旗)、すなわち大日本帝国です。
朝一番に鎮守の神様へお参りし、一心に願ったのは「征露」の志。その思いを早朝の清清しい情景になぞらえて詠う辺りに、この小野田泉里の鋭くも繊細な感性が窺われます(※あくまでも推測ですが)。
「いつか目にモノ見せてやる」
煮え滾(たぎ)る再起の志を、静かに認めたものかも知れません。
ちなみに、この歌碑は大正7・1918年に建立されたもので、日露戦争の大勝利(明治38・1905年)から13年後、かつて泉里が詠い、願った勝利の予言を記念したものと推察するのは、あながち不自然でもなさそうです。
※この句自体の制作年は、今のところ不明です。
台 稲荷神社。 posted by (C)角田晶生
まったくの余談ですが、稲荷神社に参拝した際、お賽銭を投げて鈴を振ったところ、ゴトリと鈴が落ちて来ました。
よく見ると、ただネジを回して留めているだけで、振っている内に緩んで来てしまうようです。
鈴の接合部(台 稲荷神社)。 posted by (C)角田晶生
苦労して元に戻すこと5分、どうにか留まりましたが、また振っている内に落ちて来るかも知れません。
時間を見つけて、管理元の神社に連絡しようと思います。
神奈川県神社庁/神社検索/稲荷神社
http://www.kanagawa-jinja.or.jp/search_dtl.php4?jid=413&cd=1205026&scd=&npg=0
神奈川県神社庁/神社検索/稲荷神社 (管理元:五社稲荷神社)
http://www.kanagawa-jinja.or.jp/search_dtl.php4?jid=409&cd=1205022&scd=000&npg=0
【補記】
早速、メールを送りました。
<ここから>
五社稲荷神社さま
処暑も過ぎ、ようやく秋の気配が色づき始めた昨今、益々ご清栄のことと存じます。
初めてお便りさせて頂きます。市内小袋谷の角田晶生(つのだ あきお)と申します。
さて、さっそく用件なのですが、表題の通り、台上町(台1795)に鎮座まします稲荷神社に参拝致し、鈴を振りましたところ、いきなり落ちて来ました。
確認すると、鈴を吊るしていた金具のネジが緩んでいたようで、どうにかこれを持ち上げ、回すことで再び締めることが出来ましたが、ただネジで留めているだけでは、多くの参拝者が振っている内に、再び落下しないとも限りません。そして、今回は体に当たるようなこともありませんでしたが、お子様や女性、高齢者の体に当たって怪我、という事態も考えられない事ではございません。
そこで、ご多忙とは存じますが、この鈴の固定について、一策を講じていただきたく、管理元神社たる貴社にお便りさせて頂きました。
よろしくご対処いただけましたら幸いです。
末筆になりますが、今後とも五社稲荷神社さまが末永く崇敬を集め、賑わい栄ますことを、心より祈念致します。
平成24年9月4日
角田晶生
<ここまで>
平成24年9月3日(月)、以前参拝した台上町(鎌倉市)の鎮守・稲荷神社にて興味深い歌碑を見つけました。
小野田泉里 句碑。 posted by (C)角田晶生
「露ふん亭(で) 行くや鎮守の 朝詣(あさもうで)」
大意:朝一番に夜露の残る、草生す道を踏みしめて行く先は、鎮守様です。
近くにあった説明書きによると、作者の小野田泉里とは、以下のような人物だったようです。
【小野田泉里・おのだ せんり。明治6・1873年生~昭和34・1959年没】
本名は源十郎(泉里は俳号、別号・漱石庵)。鎌倉郡台村の農家に生まれ、家業の傍ら、山ノ井高月(やまのい こうげつ)に俳句を学び、鎌倉郡をはじめ、横浜~横須賀の俳人たちとも活発に交流。生涯に二千句近くの作品を残しました。
「笹光る 白旗山や 冬の月」-泉里(気に入った一句を、紹介してみました)
また、息子の亮太郎も雪里(せつり)の俳号で活躍したそうです。
この時代は台村に多くの俳人が出て、その先駆け的存在が師:山ノ井高月(本名・高次郎。安政3・1856年生~没年不明)だったらしく、十数名の弟子を輩出しているそうです。
他にも、岩崎里京(いわさき りきょう。本名・房吉)、根本鳥暁(ねもと ちょうぎょう。本名・長平)、葉山一葉(はやま いちよう。本名・作治郎)、山本秋好(やまもと しゅうこう。本名・千秋、別号・茶木)などがこの台村(現:鎌倉市台上町)で活躍していたとの事です。
よほど、この一帯では俳句が盛んであったのだろうと偲ばれます。
町の眺め(台 稲荷神社)。 posted by (C)角田晶生
さて、話は冒頭の句に戻りますが、
「露ふん亭(で) 行くや鎮守の 朝詣(あさもうで)」
この句を読んで、ふと思い立つ節がありました。
これは、日露戦争の勝利、または三国干渉以来、広く日本人がスローガンと掲げた「臥薪嘗胆(がしんしょうたん)」の思いを表わしたものではないか、と。
臥薪嘗胆 列強(東アジア諸国)による日本への干渉: 日本史探求
http://j-history.cocolog-nifty.com/misakijapanhistory/2005/04/post_3038.html
露とは、露西亜(ロシア)、ふん亭(亭は当て字、又は変体仮名)は「踏んで」つまり蹴散らす意を表わし、鎮守は海軍の「鎮守府」にかけ、朝は旭日(旗)、すなわち大日本帝国です。
朝一番に鎮守の神様へお参りし、一心に願ったのは「征露」の志。その思いを早朝の清清しい情景になぞらえて詠う辺りに、この小野田泉里の鋭くも繊細な感性が窺われます(※あくまでも推測ですが)。
「いつか目にモノ見せてやる」
煮え滾(たぎ)る再起の志を、静かに認めたものかも知れません。
ちなみに、この歌碑は大正7・1918年に建立されたもので、日露戦争の大勝利(明治38・1905年)から13年後、かつて泉里が詠い、願った勝利の予言を記念したものと推察するのは、あながち不自然でもなさそうです。
※この句自体の制作年は、今のところ不明です。
台 稲荷神社。 posted by (C)角田晶生
まったくの余談ですが、稲荷神社に参拝した際、お賽銭を投げて鈴を振ったところ、ゴトリと鈴が落ちて来ました。
よく見ると、ただネジを回して留めているだけで、振っている内に緩んで来てしまうようです。
鈴の接合部(台 稲荷神社)。 posted by (C)角田晶生
苦労して元に戻すこと5分、どうにか留まりましたが、また振っている内に落ちて来るかも知れません。
時間を見つけて、管理元の神社に連絡しようと思います。
神奈川県神社庁/神社検索/稲荷神社
http://www.kanagawa-jinja.or.jp/search_dtl.php4?jid=413&cd=1205026&scd=&npg=0
神奈川県神社庁/神社検索/稲荷神社 (管理元:五社稲荷神社)
http://www.kanagawa-jinja.or.jp/search_dtl.php4?jid=409&cd=1205022&scd=000&npg=0
【補記】
早速、メールを送りました。
<ここから>
五社稲荷神社さま
処暑も過ぎ、ようやく秋の気配が色づき始めた昨今、益々ご清栄のことと存じます。
初めてお便りさせて頂きます。市内小袋谷の角田晶生(つのだ あきお)と申します。
さて、さっそく用件なのですが、表題の通り、台上町(台1795)に鎮座まします稲荷神社に参拝致し、鈴を振りましたところ、いきなり落ちて来ました。
確認すると、鈴を吊るしていた金具のネジが緩んでいたようで、どうにかこれを持ち上げ、回すことで再び締めることが出来ましたが、ただネジで留めているだけでは、多くの参拝者が振っている内に、再び落下しないとも限りません。そして、今回は体に当たるようなこともありませんでしたが、お子様や女性、高齢者の体に当たって怪我、という事態も考えられない事ではございません。
そこで、ご多忙とは存じますが、この鈴の固定について、一策を講じていただきたく、管理元神社たる貴社にお便りさせて頂きました。
よろしくご対処いただけましたら幸いです。
末筆になりますが、今後とも五社稲荷神社さまが末永く崇敬を集め、賑わい栄ますことを、心より祈念致します。
平成24年9月4日
角田晶生
<ここまで>
by sasalindou
| 2012-09-04 21:15