2012年 10月 28日
【自戒】子供を叱る、大人の「義務」。【角田晶生】 |
(角田晶生・笹竜党 代表)
子育て、躾(しつけ)を行う上で、思春期・反抗期のお子さんを持つ(あるいは接する)方の中に、こんな悩みを伺ったことがあります。
「子供に『あんたに、私(俺)を叱る資格があるの(か)?』って言われて、何も言えなくなっちゃった(大意)」
なるほど、わからないでもありません。
たとえ子供といえども、人様に対して物申す以上は、まず自分自身がしっかりしていないと説得力には欠けるものです。
だから、心のどこかで「しっかりしていない」と思っている自分に、子供を叱る資格などあるのだろうか?
そうした誠実な自省は、人格を養う上で非常に大切なものです。
しかし、子育てや躾に関しては、少々ばかり事情が違うと考えます。
自分がしっかりしていなくても、子供はしっかりと育てなくてはならない。
もちろん、同時進行で自分自身がしっかりするように心がける必要はあるでしょうが、今の自分がだらしないからと言って、子供に対して何も言わないのは、大人としての責任を放棄することに他なりません。
ですから、「あんたに私を叱る資格があるのか?」という冒頭の質問に対して、こう言わなければなりません。
「俺(私)がどんなにだらしなくても、お前の堕落は認めない」と。
明らかに「いけない」ことをしている子供を叱り、その「何がいけないのか」を理解させるのは、大人の義務であり、権利(資格)ではありません。
大人はいけない子どもを「叱らなくてはいけない」のです。
もちろん、叱るという義務を遂行した以上は、大人としてしっかりするように努める必要がありますが、これもまた大人の義務です。
「俺はだらしなくしていたいから、子供に対しても何も言わない、あるいは言えない」という態度は、そもそも大人として許されないのです。
これは少なからぬ緊張感をもたらすものですが、それを厭うようではいけないのです。
と、言っている以上、角田晶生もまた、少しでもしっかりするように心がけているつもりですが、まだまだ未熟です。しかし、それでも言うべき時には言わなければならないのです。
よく「偉そうに意見なんかしやがって」と言ったご意見を賜るので、この機会に書きました。角田晶生が意見を発するのは別に「偉いから」ではなく、私たちの「社会をよくしたい」がために、広く人々の「啓発に資する」ために他なりません。
大人が大人として自覚を高め、みんなで支える「義務」を果たせば、日本の抱えている問題の解決も、それほどまでには困難ではないのです。
子育ては国育て、教育(ひとづくり)は政治(まちづくり)。
元気出して行きましょう。
子育て、躾(しつけ)を行う上で、思春期・反抗期のお子さんを持つ(あるいは接する)方の中に、こんな悩みを伺ったことがあります。
「子供に『あんたに、私(俺)を叱る資格があるの(か)?』って言われて、何も言えなくなっちゃった(大意)」
なるほど、わからないでもありません。
たとえ子供といえども、人様に対して物申す以上は、まず自分自身がしっかりしていないと説得力には欠けるものです。
だから、心のどこかで「しっかりしていない」と思っている自分に、子供を叱る資格などあるのだろうか?
そうした誠実な自省は、人格を養う上で非常に大切なものです。
しかし、子育てや躾に関しては、少々ばかり事情が違うと考えます。
自分がしっかりしていなくても、子供はしっかりと育てなくてはならない。
もちろん、同時進行で自分自身がしっかりするように心がける必要はあるでしょうが、今の自分がだらしないからと言って、子供に対して何も言わないのは、大人としての責任を放棄することに他なりません。
ですから、「あんたに私を叱る資格があるのか?」という冒頭の質問に対して、こう言わなければなりません。
「俺(私)がどんなにだらしなくても、お前の堕落は認めない」と。
明らかに「いけない」ことをしている子供を叱り、その「何がいけないのか」を理解させるのは、大人の義務であり、権利(資格)ではありません。
大人はいけない子どもを「叱らなくてはいけない」のです。
もちろん、叱るという義務を遂行した以上は、大人としてしっかりするように努める必要がありますが、これもまた大人の義務です。
「俺はだらしなくしていたいから、子供に対しても何も言わない、あるいは言えない」という態度は、そもそも大人として許されないのです。
これは少なからぬ緊張感をもたらすものですが、それを厭うようではいけないのです。
と、言っている以上、角田晶生もまた、少しでもしっかりするように心がけているつもりですが、まだまだ未熟です。しかし、それでも言うべき時には言わなければならないのです。
よく「偉そうに意見なんかしやがって」と言ったご意見を賜るので、この機会に書きました。角田晶生が意見を発するのは別に「偉いから」ではなく、私たちの「社会をよくしたい」がために、広く人々の「啓発に資する」ために他なりません。
大人が大人として自覚を高め、みんなで支える「義務」を果たせば、日本の抱えている問題の解決も、それほどまでには困難ではないのです。
子育ては国育て、教育(ひとづくり)は政治(まちづくり)。
元気出して行きましょう。
by sasalindou
| 2012-10-28 17:36