2013年 02月 26日
【鎌倉市岩瀬・大芝神社】知りたい!という気持ち。【角田晶生】 |
大芝神社。 posted by (C)角田晶生
大芝神社の位置(大船駅の地図)。 posted by (C)角田晶生
(角田晶生・笹竜党 代表)
平成25年2月25日(月)、朝駆けの帰り道。大船駅笠間口から横浜市栄区との境をポスティングしながら歩いていると、やって来たのは大芝神社。以前、立派な鳥居を発見して喜び勇んで調査したことがありました。
鎌倉市内だったらよかった(別に横浜市内でもまったく問題ない)のですが、神社を所有している芝浦製作所が横浜市の企業でもあり、神社は横浜市栄区笠間に鎮座しているものとばかり思っていましたが、ふとしたキッカケから大船駅の地図を眺めていると、市の境に視線が引きつけられました。
「これは、もしかすると?」
と思い立ち、その内改めて調査しよう、と考えていた「その内」が、その日という事でした。
写真に撮った地図と現地を比較・検分して、いよいよこれはと確信を深めましたが、やはり確証を得るために、すぐ近くの守衛所へ問合せに行きました。が、その対応はこちらへの不信感に満ち満ちたものでした。
「誰に頼まれて調査してるの?」
「いったい何のメリットがあるの?」
「神社なんか調べて、何をしようっての?」
「個人的な興味とか、意味がわからない」
うーん。
確かに、大の大人が「個人的な興味から鎌倉市内の神社について調べている」と言っても、なかなか信じてもらうのは難しいかも知れませんし、そもそも面倒ごとは真っ平御免という心情もわからなくもありません。
しかし、知りたいものは知りたいのです。こちらが気分を害するような行為に及んだ(例:横柄な態度・口調で質問した等)というなら謝りますが、何も会社の敷地内に入れろと言っている訳でもなし、単なる問合せに対して、どうしてそこまで邪険かつ猜疑的になるのか、首をかしげてしまいます。
純粋に「知りたい」という気持ち。
大人になったら、捨てなければいけないのですか?
そういう大人の「面倒くさいから、余計なことを訊くな、考えるな」という態度が、子供たちの知的好奇心を押し殺し、いわゆる「個性のない」子供たち、ひいては「個性のない」大人たちを量産してきたのではありませんか?
そういう人間たちの作ってきた社会が、いかに無味乾燥で息苦しく、精神を病ませ蝕むことでしょうか。
「知りたい!」という強い欲求。それを健全な方向へと伸ばすことこそ、教育の醍醐味であり、真骨頂であると考えます。
ともあれ、閑話休題(かんわきゅうだい。話を元に戻します)。
地図の縮尺や守衛所の大きさ(もちろん目測)と照らし合わせて市境の概略を割り出してみると、ほぼ境内のすべてが鎌倉市内(岩瀬)に納まります。
この調査結果をもって、大芝神社は「鎌倉の神社」である、と判断します(もちろん、芝浦製作所さんの所有であることには変わりませんが)。
たとえ小さなことでも、自分で「知りたい!」と強く願い、地道な努力によってそれを果たし、かなえていく。いきなり大きなことは出来なくても、こうした小さな積み重ねこそ、人生の自信となり、力となることを、子供たちに伝えて行こうと思います。
「知りたくたっていいじゃないか にんげんだもの」-角田晶生。
by sasalindou
| 2013-02-26 18:24