2013年 05月 27日
【鎌倉の昔話】土地の記憶・今泉の炭焼き仏。【角田晶生】 |
道祖神(左)摩崖仏(中)やぐら(右)。 posted by (C)角田晶生
摩崖仏(鎌倉市今泉)。 posted by (C)角田晶生
(角田晶生 つのだあきお・笹竜党 代表)
今泉不動尊へ向かう道中、七久保橋を越えると程なく左手に崖が見えてきますが、その切れたところを左に曲がると、程なく道祖神が見えます。
崖を穿った穴に石碑(道祖神)と石塔の頭が納められ、道行く人が手を合わせたり無視したりしています。
そのちょっと右上、崖が丸く削られ、その中にヒトガタ(元々は仏様)が彫られています(こういう仏様を「摩崖仏・まがいぶつ」とも言います)が、この仏様について、地元のご婦人から昔話を伺うことが出来ました。
<今泉の炭焼き仏>
昔、この辺りは炭焼きをする家が多く、「やぐら(山を掘って作られた墓の一種で、名士や僧侶などを弔った。鎌倉に多い)」には家ごとに焼いた炭を保管していたそうです。
そんなある時(今から60~70年前≒昭和20年代ごろ)、山崩れが起きて亡くなった炭焼きの一人を弔うために仏様が彫られ(表面が摩滅しているため詳細は不明ですが、そのシルエットから座像と推測)、地域の守り神としてお祀りするようになったとの事でした。
また、仏様に一番近い「やぐら」は、亡くなった炭焼きの家で(炭の保管に)使っていたものと推測されているそうです。
<おしまい>
ちなみに、この崖のすぐ上(茂みになっていて下からは見えませんでした)には「山の神」がお祀りされ、そのもっと上にはお稲荷様の社が今もあるとの事でした。
山の神とは大抵「男性器」の姿をした石をご神体することが多いのですが、これは山の守り神である「蛇(この辺りではマムシ)」の頭に見立てたもので、その強い生命力にあやかるためと言われています。
京都のお寺で修行を積まれ、日々感謝の拝礼をされているそのご婦人は「鎌倉というと、みんな表舞台(山の中。八幡様や大仏など)にばかり注目するけど、こうした暮らしに根ざした信仰の大切さに気づける豊かさを取り戻して欲しい」とコメント。時間の許す限り、近所の古老から土地の記憶を聞き伝えているそうです。
また一つ、鎌倉が愛しくなるひとときでした。
※他にも、こんなに(もっと)たくさんあります。
鎌倉山中にある石碑・石仏・石祠(鎌倉)
http://4travel.jp/domestic/area/kanto/kanagawa/kamakura/kamakura/travelogue/10617023/
<オマケ>
石碑(馬頭観音)の前にゴミ(鎌倉市今泉) posted by (C)角田晶生
片付けました(今泉・馬頭観世音)。 posted by (C)角田晶生
by sasalindou
| 2013-05-27 17:32