2014年 05月 08日
【愛国雑考】保守って、何だろう?【角田晶生】 |
(角田晶生 つのだあきお・笹竜党 代表)
政治活動を行う上で、よく「彼は保守だ」「保守ではない」などと言うことがあります。
また、人によっては「保守的」という言葉によい印象を持っていないこともあります。
保守と保守的はどう違うのか。また、そもそも保守とは何なのか。少し考えてみました。
文字どおりに考えれば、保守とは保守的な「人(主に政治家・活動家)」を指し、保守的とはその心理的傾向を指すものだと解釈できます。
私たちが「保守」と名乗ったり誰かを指したりする場合、その定義は概ね「愛国者」というところで落ち着きます。
これは日本という祖国を「保ち、守る」という意味で使われているのでしょうが、本来「保守的」とは現状維持、つまり変化を嫌う心理的傾向を指すものであり、滅びゆく祖国を救わんと決起・行動する愛国者、いわゆる「保守」とはまったく異なる存在です。
その施策が良かれ悪かれ、たとえ売国的であろうが「お上に逆らうこと罷りならぬ」と平伏するのが本来意味するところの「保守」「保守的」となります。
とは言え、滅びゆく祖国をどうにか「保ち、守り」たいという考えもまた「保守」と呼べないことはなく、愛国という表現よりも抵抗感が少ないため、こちら業界では使われているようです。
結局のところ、保守とは「何を保守したいのか」という目的が明確でないため、曖昧な使われ方をされがちなのだと考えます。
だから「私は保守なんです」と名乗りながら近づく人の中に、どう見ても保守とは思えない人が混じることが多いのだと感じます。
ちなみに「国旗を掲揚し、国歌を斉唱する」ことが保守の定義と考えている方もいるようですが、保守だろうが革新(リベラル)だろうが、国家に対する愛と忠誠を前提としての政治思想であり、国家そのものを破壊しようなどという考えは「テロリズム」に他なりません。
今、日本で「左翼」「リベラル」などと名乗って(あるいは呼ばれて)反国家活動をしている人たちはあくまでも「(半ば国家公認の)テロリスト」であって、「左翼」「リベラル」の風上にも置けないという事になります。
さて、前置きが長くなりましたが、私たちの言う「保守」とは、その定義は何か。
一言で表せば「日本を日本として保ち、守ること」となります。
では、日本とは何なのか。
ただ東洋の片隅に「JAPAN」と名乗り、呼ばれる島国がプカプカ平和に浮かび、経済が発展して国際影響力を高め、国民の生活が豊かなら、それが誇るべき日本なのか。
そういう考えの人を、私たちは保守とは呼びません。
何が日本を日本たらしめているか。
その答えを「皇室」と返す人こそ、私たちの定義する「保守」に他なりません。
我が国の伝統・文化・精神の象徴たる皇室を第一に奉戴すること、玄洋社の社訓そのままです。
一、皇室を敬戴すべし
一、本国を愛重すべし
一、人民の権利を固守すべし
玄洋社思想を護る会
http://genyousya.grupo.jp/free152793
頭山翁はこれについて「一言一句変更を要さない」旨を述べたそうですが、まさしくこれこそが私たちの保守すべき我が国の価値観であると確信します。
天照大神の直系たる皇室すなわち天皇陛下が人民を大御宝(おおみたから)として慈しみ、私たち人民が天皇陛下の大御心(おおみこころ)を神意として奉戴する。そういう国家として日本のあるべき姿を、私たちは「国体(こくたい)」と呼びます。
これを理解せず、ただ「日本を、取り戻す。」という時の風に乗って「保守」を標榜する手合いが最近多いように感じますが、共に我が国を真に保守せんと志す者が現れることを信じて、声を上げ行動を続けます。
政治活動を行う上で、よく「彼は保守だ」「保守ではない」などと言うことがあります。
また、人によっては「保守的」という言葉によい印象を持っていないこともあります。
保守と保守的はどう違うのか。また、そもそも保守とは何なのか。少し考えてみました。
文字どおりに考えれば、保守とは保守的な「人(主に政治家・活動家)」を指し、保守的とはその心理的傾向を指すものだと解釈できます。
私たちが「保守」と名乗ったり誰かを指したりする場合、その定義は概ね「愛国者」というところで落ち着きます。
これは日本という祖国を「保ち、守る」という意味で使われているのでしょうが、本来「保守的」とは現状維持、つまり変化を嫌う心理的傾向を指すものであり、滅びゆく祖国を救わんと決起・行動する愛国者、いわゆる「保守」とはまったく異なる存在です。
その施策が良かれ悪かれ、たとえ売国的であろうが「お上に逆らうこと罷りならぬ」と平伏するのが本来意味するところの「保守」「保守的」となります。
とは言え、滅びゆく祖国をどうにか「保ち、守り」たいという考えもまた「保守」と呼べないことはなく、愛国という表現よりも抵抗感が少ないため、こちら業界では使われているようです。
結局のところ、保守とは「何を保守したいのか」という目的が明確でないため、曖昧な使われ方をされがちなのだと考えます。
だから「私は保守なんです」と名乗りながら近づく人の中に、どう見ても保守とは思えない人が混じることが多いのだと感じます。
ちなみに「国旗を掲揚し、国歌を斉唱する」ことが保守の定義と考えている方もいるようですが、保守だろうが革新(リベラル)だろうが、国家に対する愛と忠誠を前提としての政治思想であり、国家そのものを破壊しようなどという考えは「テロリズム」に他なりません。
今、日本で「左翼」「リベラル」などと名乗って(あるいは呼ばれて)反国家活動をしている人たちはあくまでも「(半ば国家公認の)テロリスト」であって、「左翼」「リベラル」の風上にも置けないという事になります。
さて、前置きが長くなりましたが、私たちの言う「保守」とは、その定義は何か。
一言で表せば「日本を日本として保ち、守ること」となります。
では、日本とは何なのか。
ただ東洋の片隅に「JAPAN」と名乗り、呼ばれる島国がプカプカ平和に浮かび、経済が発展して国際影響力を高め、国民の生活が豊かなら、それが誇るべき日本なのか。
そういう考えの人を、私たちは保守とは呼びません。
何が日本を日本たらしめているか。
その答えを「皇室」と返す人こそ、私たちの定義する「保守」に他なりません。
我が国の伝統・文化・精神の象徴たる皇室を第一に奉戴すること、玄洋社の社訓そのままです。
一、皇室を敬戴すべし
一、本国を愛重すべし
一、人民の権利を固守すべし
玄洋社思想を護る会
http://genyousya.grupo.jp/free152793
頭山翁はこれについて「一言一句変更を要さない」旨を述べたそうですが、まさしくこれこそが私たちの保守すべき我が国の価値観であると確信します。
天照大神の直系たる皇室すなわち天皇陛下が人民を大御宝(おおみたから)として慈しみ、私たち人民が天皇陛下の大御心(おおみこころ)を神意として奉戴する。そういう国家として日本のあるべき姿を、私たちは「国体(こくたい)」と呼びます。
これを理解せず、ただ「日本を、取り戻す。」という時の風に乗って「保守」を標榜する手合いが最近多いように感じますが、共に我が国を真に保守せんと志す者が現れることを信じて、声を上げ行動を続けます。
by sasalindou
| 2014-05-08 23:32