2014年 07月 26日
【高校時代の思い出】平成8年・鎌倉市長と話す会。【角田晶生】 |
市長と話す会(平成8年7月22日) posted by (C)角田晶生
※マークで示した、左列奥から二番目の、頭の突き出た生徒が角田晶生。
(角田晶生 つのだあきお・笹竜党 代表)
時は遡ること平成8年7月22日(月)、鎌倉市役所全員協議会室にて、鎌倉市内の公立高校生19名(10校)が、竹内謙市長(当時)と懇談の機会を頂きました。
ことのキッカケは、担任のM先生(大船工業技術高校機械科・当時)からの呼びかけでした。
【回想はじめ】
M先生「なぁ角田、鎌倉市長に会わないか?」
角田「別にいいですけど、タケ坊(市長のあだ名)が何か用ですか?」
M先生「いや、用事とかじゃなくて、『市長と話す会』というのがあってだな……(以下説明」
角田「まぁいいや。どうせヒマだし、冥土の土産に市長の顔でも拝んで来ますか」
M先生「悪いなぁ」
(以下略)
【回想おわり】
聞くところによると、市長が毎年小・中・高と順番で青少年と懇談しているらしく、平成8年は高校生の番ということで、他の先生から
「じゃあ、1組(※)の角田でいいんじゃないか?あれは真面目だし(大意。M先生からの伝聞による)」
というおススメによって、白羽の矢が立ったと言う次第でした。
(※)一学年に機械科が2学級、電気科は1学級だったため、「~組」で呼ぶのは必ず機械科の生徒でした。
当時、竹内市長と言えば、近所あちこちにポスターが貼ってあって、「コイツは当選しそうだな」と思っていたら、その通り当選したのでした。
ともあれ、当日約束通りに会ってみたのですが、
「ポスターと全然違うじゃないか」
というのが第一印象でした。
当時は写真の加工修整という発想がなかったので、とても写真映りがいいのかと思っていました。
そんな余談はともあれ、竹内市長との懇談は2時間ほどにわたり、自分はこんな話をした記憶があります。
その一「市長はこの任期中、どんな仕事をして来た(実績を上げた)のか(要約)」
※これは単に「市長の仕事」についての質問と勘違いされたのか、竹内市長から「そんな事は教科書に書いてある」とばっさりでした。
当然、あまり下らない質問と見なされ、記録にも残っていません。
その二「鎌倉を文化都市にしたい。そのために、玉縄城跡などの史跡を復元して欲しい(要約)」
※こちらは一定の評価がされたようで、記録が残っていました。
自分の発言を読み返してみると、いささか粗雑ながら、古都・鎌倉への想いは昔から変わっていないことを感じられます。
ところで、どうしてこんな話を今さら蒸し返したのかと言いますと、先日、中央図書館の郷土資料コーナーに、「市長と話す会」などの書類がファイルにまとめられているのを見て、これはもしや「自分の発言も残っているかも」と思いつき、司書さんにお手数を願って探し出したのでした。
※でなけりゃ、日時までいちいち覚えていられません(苦笑)
※記録がつけられていた事自体は、当時鎌倉市シニアリーダーズクラブ(現:鎌倉市ジュニアリーダーズクラブ)の担当職員から教えてもらっていました。
【参考資料】
鎌倉市市長室「鎌倉市の広聴活動(平成8年度) 8.4.1~9.3.31」平成9年11月発行より
市長室「鎌倉市の広聴活動(平成8年度)」 posted by (C)角田晶生
【追記】
ちなみに、竹内元市長は平成26年4月2日に73歳で亡くなられています。短い間ではありましたが、お世話になりました。今さらながら、記事を載せておきます。
【訃報】記者クラブ開放の先駆者 竹内謙・元鎌倉市長死去
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20140406-00010000-noborder-soci
竹内謙さん死去 元鎌倉市長、「インターネット報道協会」生みの親
http://www.j-cast.com/2014/04/03201074.html
by sasalindou
| 2014-07-26 22:55